2008年05月31日
小さな星の 小さな光が ささやかな幸せを うたってる
仕事中の友人が時間つぶしに
何かの営業さんが
道を尋ねに来た人が
などなど
先日訪れた方に
「幸せとは?」
という質問をされました
生まれたところや、親の育て方
それから、その人の経験してきたもの感じてきたこと
それが全てあわさったうえで、思ったり感じたりするモノな気がします
例をあげればキリがないですが
何かへ挑戦することで幸せを感じる人もいるでしょうし
そうやって挑戦している人を遠いところから批判して、それを感じる人もいるもんだと思います
そもそも、幸せというものが人や雑誌から教えてもらうものなのか?
という疑問が湧いてくるわけです
「人によって違うだろうからわからない」
そう答えておきました
たぶん僕の考えている範囲は小さいモノで
その人が僕に話してくれようとしたのはもっと広範囲のモノだったんだと思うんですが
偉そうでなんですね(笑)
小さな幸せはちょいちょい感じることができるかもしんないけど
自分の人生が総じて幸せなもんだったかなんつうのは、この世が終わる瞬間にしかわからん
そうなるように頑張っていくだけだっつうの
なんてことを考えて、ますますあの人が話したいことはそういうことじゃないって思う次第です
2008年05月28日
悪くなった感受性と結果は 自分の器量の大小
よく聞かれます
大学が近くに3つありますからね
高校も1つ近くにあるし
でも、学生のお客さんはすごく少なく
本当にたまに来てくれるくらいです
入ってきてくれる学生さんに話を聞くと
入りづらい
入ったら出づらそう
高そう
という感じみたいなので、仕方ないのかと思いますが
後ろをくっついて回ったりもしないし、ファッションビルに置いてあるような価格の洋服もあったりするんだけどな
と思うのはこちらの勝手なので、そういう印象がなくなるように頑張らなくてはならないです
それでも嬉しいことに、最近ちらほらと学生の方が足を運んでくれる機会があります
最近の若い人たちの流行を教えてもらったり、考えていることに触れることができるのが楽しくて嬉しいです
頭がだいぶ固くなり始めている年齢なので、新鮮な事柄は常に吸収していかなくてはですから
感受性は常に磨いておかなくては、なんて思います
自分の感受性くらい
茨木 のり子
ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
2008年05月13日
考え得ることは可能なことばかりで 言葉にできることばかり

『SHOWくん』に教えてもらった小説「龍時」の中に出てきた1文
ギリシャのことわざだったかな
考えたり調べたりしないで、手っ取り早く答えを知りたい
間違えたら恥ずかしいから間違えたくない
怒られるのはイヤだから
なんて思うのが当たり前
平均点を狙いにいくというのかな
冒険はしたくないけど、良い結果はほしい
って考えるのが当たり前ではあります
僕もそう思います
それでも
可能性の限界を汲み尽くそうとする行為が、人生を豊かにするんだとも思います
できることなら、自分の可能性を汲むことを
自分の可能性の限界を見に行きたい
2008年05月10日
すべての前兆が 音も立てずに そこまで来てる
人物設定としてはだいぶ違っていたようですが
夢ってあんまり見ないや
と思って、夢を調べてみるとどうも違うようで
人は一晩に3~5つの夢を見ていると言われているそうです
ということは、僕が覚えていないだけで
けっこうな数見てるんですね
夢を見る裏側では
無意味な情報を捨て必要な情報を残すといった活動をしているなんて話もあるようです
なんだか不思議なモノですね
不思議といえば、僕は高校生の時に1度だけ正夢を見た事があります
その夢はサッカーのモノで
全国大会の準々決勝の日に
決勝戦の夢でした
決勝点を入れる人・点をとる過程がすごく鮮明だったこと
「こんな夢を見たから、俺たち優勝するぜ」なんてことを、その日の朝食時に話していたことを覚えています
実際に優勝できたんですが
決勝戦の決勝点は、僕が見た夢のまんま
点を取る人・点を取るまでの過程
もうそのままでした
優勝した喜びと、夢が現実になった驚きとで
すごく興奮しました
それ以来、正夢は見た事がありませんが
いつかまた見れる時がくるんではないかなと思っています
正夢を見た事がないという方
夢と現実とリンクした時、すごい興奮しますよ
その時がくることを楽しみに
今日も良い夢を・・・・
2008年05月07日
思い描いた夢に出掛けたその時から 増え始めた日々はもう
名波さんはパスが上手な選手なのだけれど
そのパスについてのこだわりを雑誌の中で答えていた
芸術的な美しさではなく、機能美
どちらかと言われたら、間違いなく実利を追求している
綺麗な軌道のキックが多いので、芸術志向なのかと思っていたがそうではないそうだ
そんな記事に驚いて、自分の洋服の選び方は芸術寄りなのか機能美寄りなのかを考察しようと思ったんだけれど
話の着地点が見つからなかったので割愛
替わりの話が見つからなかったんで、書き始めたら意外に着地点がみつかるかなと思ったんですけど
結果だけ書き残すと機能美寄り
なんだと思いますが
たぶん、感覚と値段で選んでるのでどっちとも言えない気がしたんですよね
それで着地点が見つからなかったわけです
今日の静岡は夏のような暑さでしたね
店内で流れていた『Leyona』さんの曲がいい感じではまってた気がします
2008年05月03日
世界中の境界線がなくなれば 本当に平和に幸せになるのかな?
最近「春ってどの時季のことを言うんだろう?」と思っています
個人的には暖かい=春ですが
「暖かい」が無いんじゃないか
寒いが終わったら、すぐに暑いになってるよと
体感の個人差があるので、あくまで個人の意見です
まだまだ夜は涼しいですもんね
何の本か、インターネットか
忘れてしまったんですが
人種問題や国同士の争いを揶揄した文の中に
「国境なんか人が作ったもの。空から見ればそんな境界線なんかないのに」
というような1節を見た事があります
平和の祭典が商業の祭典に変わり
聖火と言われるモノがなんの為に世界を渡っているのか
よくわかりませんが
平和なんていう言葉だけが独り歩きしてるなと思いながら、この文を読みました
「これはメンズ?レディース?」
と聞かれることもあるので、洋服の世界にもやっぱり多少の境界線があるような気はします
うちはメンズの洋服が細身なので、メンズの商品をゆっくり見てくれる女性の方がいたり
メンズブランドのTシャツやカーディガンなんかを買ってくれる女性も多いので、境界線を強く引いてる人は少なめかなとも思いますが
こっちはメンズモノだからと、見ない方もいらっしゃいますからね
女性がメンズブランドのモノを買っていってくれることもあるせいか
「境界線とかいらないよな」
「メンズのブランドでもレディースのブランドでも、良いと思ってサイズが合えば着ていいじゃないか」
と思うことが増えました
特にこの時季は、女性が着れるメンズ服の入荷が増えていることもあって
洋服の置き方を変えようと思っています
5月に変わる節目ですから、ちょうどいいかなと
そんな風に思ったので